生まれる前から人はそれぞれの使命を与えられ、地球に降り立つ…。
こんな話を聞くと、自分の使命を知りたくなりますよね。
今回は、使命探しに夢中になると本末転倒というお話です。
使命を知りたい理由は何ですか?
スピリチュアルな世界を知るまでは、私にとって『使命』という言葉の概念は『その場の役割』程度のものでした。
例えば仕事場での私の役割、家庭での私の役割、、、
『使命』という言葉が持つ重々しい響きとは、全くかけ離れた軽いものでした。
その後、前述の
「生まれる前から人はそれぞれの使命を与えられ、地球に降り立つ」
という、スピリチュアル的な『使命』を考えさせられる言葉に出会ったのです。
きっと皆さんの中にも、私と同じようにこう感じた方も多いのではないでしょうか。
「私の使命って何だろう」
「私の使命が知りたい」
私はやがて、使命を夢中で探すようになっていました。
なぜなら
「私は使命に沿って生きていないから幸せではないんだ」
そう考えたからでした。
当時は、使命が分かれば幸せになれると思っていたのです。
何でもかんでも「これが使命かな?」とこじつけ、数分後には「いや、これは使命じゃない」と何かと理由をつけて否定する…。
そんなことを繰り返していました。
もし当時の私と同じ理由で、今でも必死に使命を探している人がいれば、伝えたい。
使命を知ることと、幸せになることとは、全く別のことですよ。
使命を知ることを目的とせず、幸せになるという本来の目的にまっすぐ向かって行ってください。
幸せになれない理由を探すのではなく、幸せになろうとしてください。
使命に気づかせてくれたメンターの存在
私には、メンターと呼ぶ二人の人物がいます。
一人は現代気功メソッドを教えてくれた気功師の方。
もう一人はスピリチュアルな巫女気質の方。
現代気功は科学と言われていますが、私はスピリチュアルも大好きです。
その巫女の方は、存在を知った時から何となく気になっていた女性で、いつか個人セッションを受けたいと思っていました。
その方の個人セッションは当時、60分で12,000円ほどだったと記憶しています。
受けたいけれどもセッション料を捻出できずにいた私は、その方へ「費用の用意ができたら申し込みます」と連絡しました。
すると彼女は、「無料でいいですよ」と驚きの返事をくれました。
彼女は「これも恩送りなので」と仰いました。
その時の『恩送り』という言葉に、強く心を惹かれ、恩を受けた人への恩返しでなくても、恩送りをすることで感謝が広がっていくイメージが湧きました。
そして実際にお会いし、セッションを受けたところ
「まずは、自分自身で光を見なさい。そして人に光を与えなさい」
このようなことを仰ったのです。
(要約すると、新興宗教っぽくなってしまいましたが、決してそういうわけではなく。。。)
不安の中にいた私に、暗闇ばかりに注目するのではなく、光があることに気づけと諭してくれました。
そして、周囲の人にも輝きを与えて、良い方向に導くことができると教えてくれました。
光を探して暗闇から脱出し、その経験を活かし周囲の人生も良き方向に導く。
そんなことが私にできれば、と考えただけでとても幸せな気持ちになりました。
と、同時にそんな存在でありたいとも思いました。
これが私の恩送りであり、使命なのかな、と。
このことによって、私は現代気功の道へ進むわけです。
本当の使命かどうかは関係ない
果たしてこれが私の本当の使命かは分かりません。
本当か偽物か、というのは意味がないと思っています。
そして、それが使命かどうかさえ意味をなさないような気もしています。
使命を知ることが目的となってしまわないように。
ただ、「そうなりたい」「そうありたい」と想像した時に、心躍るもの。
そこに向かって行動すれば、本来の目的である『充実した幸せな人生』がやってくるのです。
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